葛城の話をする前に、まず事代主神について、それ以前に分かっていたこと をまとめてみたいと思います。
事代主神について、古事記・日本書紀の記述は次のようになっています。
天若日子が死んだ後、高天原は経津主神(香取神宮の神/物部一族の神か)
・建御雷神(鹿島神宮の神/中臣一族の神か)を派遣して、武力を背景に
大国主神に国譲りを迫ります。
すると大国主神は自分の子供の事代主神に訊いてくれと言います。
事代主の神は美保の海で漁をしていました。そこで天鳥船神に呼びに行か
せて意向を訊いたところ、了解しましたといい、青葉の芝垣に籠もってし
まいました。
その後、経津主神・建御雷神が大国主神に「他に誰か訊くべき者がいるか?」
とたずねると、大国主神はもうひとりの息子の建御名方神に訊いてくれと
言います。
そこで聞きに行くと建御名方神は武力で挑んで来ました。建御名方神と建
御雷神の戦いになりますが、建御雷神が勝ち建御名方神は命からがら諏訪
湖まで逃げていきます。
ここで大国主神も国譲りに同意し、その代わり自分のために天の御子の宮
殿と同様の高い宮を建てて欲しい。私はそこで遠い道の先に籠もることに
する、と言うのでした。
さて、ここの事代主神が出てくる下りは非常に含蓄のある部分ですので以下 に原文を引用しておきます。
爾答白之、僕者不得白。我子八重事代主神、是可白。
然爲鳥遊取魚而、往御大之前、未還来。
故爾遣天鳥船神、徴来八重事代主神而、問賜之時、
語其父大神言、恐之。此國者、立奉天神之御子。
即蹈傾其船而、天逆手矣、於青芝垣 打成而隠也。
事代主神は出雲では上記に出てくる「御大之前(みほのさき)」つまり美保関 の美保神社に、奥様(*1)の美保津姫(三穗津姫命)とともに祭られています。