心を鍛えよう

インスタント禅の誤り

1960年代頃に東洋の「禅」が西洋に紹介された時、一部の若者が、禅定で入っていくことのできる世界にもっと簡単に入る方法があると言って「インスタント禅」と称し、LSDなどの麻薬を使い始めました。しかしその結果がどうなったかは言うまでもありません。

彼らが失敗したひとつの理由は麻薬が精神を破壊していく作用があるからですが、もうひとつの理由は麻薬でそういう世界に入っていくのは、自動車の運転の経験が無い人がいきなり高速道路でポルシェを走らせようとするようなものであるからです。

内なる世界に精神を沈めていくには手順があります。その手順を学ぶ訓練をサボって、楽な方法を選ぼうとすればその反動も引き受けることになるのは当然でしょう。

なぜ聖者は堕落するか

霊能者や宗教家の中には、かつてはとても良い人であった筈の人が、いつのまにか霊的な力を失い、金に目がくらんだ詐欺師になり果ててしまう人が良くいます。特に有名になってたくさんお祓いや祈願を受けに来る人が増えた人は危ない。そういう環境の中で、ピュアな自分をキープできる人は、逆に希有な存在です。ですから普通は、自分を壊してしまわないために、様々な方法で対応する依頼者の数を絞ります。

そこで東西の宗教を結ぶミッシングリングとも言われる「マニ教」の創始者マニはこう言います。「悟った瞬間から堕落が始まるのだ」と。

霊能者や宗教家になる人にはとても高い霊的な才能を持つ人が多いです。そういう人は若い頃からかなり深いレベルの瞑想ができる状態になっているので、その時期にきちんとした指導者のもとで修行をしていないと、心が弱いまま技術だけのびていくという状態になっている場合があります。この手の人は挫折に弱く、また「魔」にも憑かれやすい欠点があります。

幸いにも若い頃からちゃんと指導してくれる人がいたり、稀にいる自分でその修行法を見つけられるほどの天才であれば、そのような誘惑にまけず心を鍛えつつ霊的能力を伸ばして行くこともできます。そうしてだいたい30歳頃までには霊能者や宗教家として開花するのですが、そこで安心してしまうとマニが言うように堕落してしまい、結果的に「魔」に支配されてしまうのです。

心を鍛えるには

魔術の世界に関わる時に心を鍛えておくことは必須です。ここで心を鍛えるというのは、弱い自分との対峙に耐えていくことです。「もういいや」とか「面倒」とか「そんなのきつい」などという気持ちは自分の弱さを認める心です。心を鍛えるというのは、今自分が何をしなければならないのかを冷静に考え、そして実行していくことです。その日々の努力が心を鍛えていきます。

修行というと、山に籠もり滝に打たれ、断食したり、山野を駆けめぐったり、などというイメージを浮かべるかも知れません。確かに若い頃はそういう体験をしておくことも意味のあることですが、あなたが例えば野球が好きなら毎日暗くなるまで野球の練習をしたり、またピアノが好きなら四六時中ピアノの練習をしていたりするのも、充分修行です。そんな時に「うまくできないけど、まぁいいや」などという考えに甘んじてしまう人は永久に上達しません。

上手にならない自分、問題を解決できない自分と戦い、何とか壁を破る方法を見つけていく過程、そのものが大きな修行ですし、そういう体験をたくさんすることでどんどん心は鍛えられていくのです。ですから心を鍛えるというのは、いわばプラス指向で生きていくことだとも言えるでしょう。

自分はこの曲を弾きこなせるようになるはずだ、と信じる気持ちがやがてあなた自身をその曲をマスターできる世界に導きます。その時に「絶対弾きこなすぞ」という気持ちもダメですし(それは結局自分を信じていないことになる)、むろん「弾きこなせなかったらどうしよう」という気持ちもダメです(こちらは問題外)。

純粋に「弾きこなせるさ」と自分を信じる『中庸』の気持ちが、成功にたどりつく鍵です。ですから「本当に信じている事は実現する」という『マーフィーの黄金律』を提唱したジョセフ・マーフィーも、本当に心から願うことは忘れてしまっていい、とまで言っています。


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