この神は、高天原から葦原中国平定のために最初に遣わされた神なのですが、大国主神に惚れ込んでしまい、3年たっても復命しなかったとされます。仕方ないので、高天原では次に天若日子を派遣しますが、これも失敗。最後に建御雷之男神と経津主神が派遣されて、葦原中国も高天原に従うようになるのです。
さて、ちゃんとお仕事をしなかった天若日子は高木神の還し矢で殺されてしまうのですが、最初に行きっぱなしになったこの天穂日神はそれに比べて、何のおとがめもされていません。この処分のアンバランスは日本神話の謎のひとつです。
そして、この天穂日神がその後どうなったかと言いますと、出雲の国に諸神の祖ともいうべき、伊邪那美神をお祭りする、神魂神社を建てたのです。そして、この子孫が代々この神社をお守りするとともに、出雲・武蔵・上総・下総・夷隅・対馬・遠江の国造の祖神となっています。従って、この神は武蔵国の亀戸天神にもお祭りされています。武蔵一族が素戔嗚神をお祭りする氷川神社を建てたのは今まで何度も書きました。