ところで、この神様の名前の後に神(かみ)を付けたり命(みこと)をつけたりしていますが、これはその神をどうとらえるかによって書き分けている訳で、大国主神と書いた場合は神格、大国主命と書いた場合は人格を問題にしていることになります。
なお、大国主神には多くの異名があります。大穴牟遅神(おおなむぢのかみ)、八千矛神(やちほこのかみ)、葦原色許男神(あしはらしこをのかみ)、宇都志国玉神(うつしくにたまのかみ)というのが古事記に見られます。日本書紀は国作大己貴神(くにつくりおおあなむちのかみ)、葦原醜男(あしはらしこを)、八千戈神(やちほこのかみ)、大国玉神(おおくにたまのかみ)、顕国玉神(うつしくにたまのかみ)、大物主神といったものを上げています。整理すると
なお、この他旧事本紀には下記のような異名も出てきますが、未分析です。しばらくお待ちを。
八島士奴美神、清之湯山主三名狭漏彦八嶋篠、清之繋名坂軽彦八嶋手命、清之湯山主三名狭漏彦八嶋野。
通常、このように沢山の異名を持つ神というのは部族の統合などにより幾つかの神格が合体してできた神なのですが、上記の並びを見ると、大物主神以外は合体というよりも単に別の角度から見ただけのことで、基本的には大己貴神という神格で統一されているように思います。但し古事記の文章を見ていると、八千矛神に関する記述は少し異質で、この神格も後から合体したものかも知れません。しかしやはり大国主神の基本神格は大己貴神から出ているようですので、この後しばらくこの神のことを大己貴命と書きます。
さて、大己貴命には80人の兄弟がいました。ある時、この80人がみんなで因幡の八上姫に求婚しようと言って出掛けた時、大己貴命はみんなの荷物を持つ羽目になり、少しみんなからは遅れてふーふー言いながら付いて行っていました。
ここに一匹の白兎がいました。白兎は淤岐島(後述)という島にいましたが、本土に渡ろうと思い、海の和迩(ワニ説・鮫説あり)をだまして「自分の部族と君達の部族とどちらが人数が多いか比べてみたいから、ここから本土までずらっと並んでみてくれないか?」と言いました。和迩は承知し、仲間を呼んで来て並びます。
白兎はその和迩たちの上を飛び歩きながら「1,2,...」と数えていきましたが、もうあと1歩で本土に降りるというときに「だましたんだよー」と言ってしまいます。するとその最後の和迩が白兎を捕まえて、衣服(皮か?)をはいでしまいました。
そこへ大己貴命の兄弟たちが通り掛かりました。白兎が泣いているのを見ると兄弟たちは「海に使って風に当っているといいよ」と言います。そこで白兎がそうしますと、ますます傷が痛んでたまらなくなりました。
そこにやって来たのが大己貴命でした。大己貴命は白兎から事情を聞くと「河口に行って真水で体を洗い、蒲の花粉を撒いた上に寝転がりなさい」と教えます。白兎がその通りにすると兎の体は元の通りになりました。(因幡の白兎)
白兎は大己貴命に感謝して礼を述べるとともに「あなたの兄弟たちは八上姫の心を射落すことはできないでしょう。姫はあなたのものになります」と予言しました。そして八上姫はその予言通り、自分は大己貴命に嫁ぎたいと思うと明言したのです。
これを面白くなく思った大己貴命の兄弟たちは大国主を殺そうとします。
まずは大己貴命に「今から猪を追って行くから、そちらで待ちかまえておいて捕まえてくれ」と言い、大きな石を真っ赤に焼いて転がします。その岩に当って大己貴命はあっけなく死んでしまいますが、大己貴命の母が神産巣日神に願い出た結果、蚶貝姫と蛤貝姫が遣わされ、大己貴命はこの姫たちの治療で蘇生します。
大己貴命が生きているのを見て驚いた兄弟たちですが、次は山の中の大木に楔を打ち込み、だまして大己貴命をその中に入れ、入った所で楔を引き抜いて閉じ込めてしまいました。大己貴命の母は大己貴命が戻ってこないので不審に思って探し回り、この木を見つけて木を裂き、息子を救出します。そして「このまではお前は兄弟たちに殺されてしまいます。紀の国の大家彦神の所に行って相談しなさい」と言います。そこで大己貴命が大家彦神(=五十猛神)の所に行くと、根の国の須佐之男神の所に行きなさいと行って道を教え、追ってきた兄弟神たちは弓矢で射て追い返してしまいました。
さて、根の国に来た大己貴命は須佐之男神の娘の須世理姫と出会い、愛しあってしまいます。そして須世理姫は彼を父の須佐之男神の前に連れて行き、私はこの人と結婚したいと言います。須佐之男神はそれではこの男に試練を課し、それに堪えられたら結婚を認めようと言います。
大国主神はまず蛇のたくさんいる部屋に連れて行かれました。しかしこのとき須世理姫が秘かに1枚のヒレを渡して「蛇が来たらこのヒレを3度振りなさい」と教えましたので、その通りにして難を逃れることができました。
翌日は今度はムカデと蜂のいる部屋に通されましたが、また須世理姫がムカデと蜂を払うヒレを渡したので、無事に過ごすことができました。
そこで今度は須佐之男神は矢を1本野原に放って大己貴命に取って来るように命じ、大己貴命が拾いに行った所で回りに火を付けました。火に囲まれて困っていると1匹の鼠が現れて「内はうつろで広い。外はすぼまっている」と言いました。大己貴命は鼠の穴の中に隠れられることに気付き、穴を掘って下に隠れ、火が地面を通りすぎるのを待ちました。
大己貴命が無事戻って来たのを見た須佐之男神は、家の中に連れて戻り座ってから、自分の頭のシラミを取ってくれと言いました。大己貴命が見ると頭にはたくさんのムカデがいます。どうしたものかと思っていると須世理姫がムクの実と赤土を渡しました。そこで大己貴命がムクの実を噛み砕き、赤土を口に含んで吐き出しますと、須佐之男神は、ムカデを捕まえて自分の口で噛み砕いてくれているのかと思い、可愛い奴だなと微笑んでそのまま眠ってしまいました。
そこで大己貴命は眠ってしまった須佐之男神を家の柱に縛り付け、戸口には大きな岩を置いた上で、須世理姫を連れて、根の国を逃げ出してしまいました。この時、須佐之男神が持っていた生太刀・生弓矢・天詔琴を持って行きました。
ある程度行った所で天詔琴が木に触れてポロンと鳴りますと、この音で須佐之男神は目を覚まし、家を引き倒して縄を解き、大己貴命たちを追いかけて来ました。そして笑いながら大声でこう言いました「お前の持って行った生太刀・生弓矢でお前は兄弟たちを倒すんだぞ。そしてお前はこの国の主(大国主)となり、現し国魂(うつしくにのみたま)となって、須世理姫を妃にし、宇迦の山の麓に大きな宮殿を作って住むんだぞ」と。
こうして根の国から帰ってきた大己貴命は須佐之男神が言った通り、80人の兄弟を打ち負かし、追放して国作りを始めたのです。なお、発端の八上姫の方ですが、須世理姫に遠慮して、大己貴命との間に出来た子供を木の俣にはさんで因幡に引き篭りました。そこでこの子供を木俣神(=御井神:井泉の神)と言います。
大国主神はこのわざわざ根の国から連れて来た正妻須世理姫との間には子供を設けていないようです。しかし最初の妻の八上姫との間の木俣神の他、色々な姫との間に多くの子供(日本書紀には181柱と書かれている)がいたとされます。以下に古事記の記述をあげます。
宗像の三女神の中の多紀理姫との間に味鋤高彦根神(賀茂大神)・高比売神(下照姫神)(2神)
神屋楯姫との間に事代主神
鳥取姫との間に鳥鳴海神
そして、この鳥鳴海神の系譜が更に続きます。
この神と日名照額田毘道男伊許知邇神との間に国忍富神
この神と八河江比売との間に速甕之多気佐波夜遅奴美神
この神と前玉比売との間に甕主日子神
この神と比那良志毘売との間に多比理岐志麻流美神
この神と活玉前玉比売神との間に美呂浪神
この神と青沼馬沼押比売との間に布忍富鳥鳴海神
この神と若尽女神との間に天日腹大科度美神
この神と遠津待根神との間に遠津山岬多良斯神
この他に重要な神として、建御名方神がおられます。この神の母神については、旧事本紀の記載により沼河姫であるとされています。沼河姫は越の国の姫で、建御名方神は諏訪湖に御鎮座されていますから、方位的にも合う感じです。
以下は旧事本紀の文章です。
先娶 坐宗像奥都嶋神田心姫命、生一男一女
兒味鋤高彦根神 坐倭国葛上郡高鴨社 云捨篠社
妹下照姫命 坐倭国葛上郡雲櫛社
次娶 坐邊都宮高降姫神、生一男一女
兒都味齒八重事代主神 坐倭国高市郡高市社 亦云甘奈備飛鳥社
妹高照姫大神 坐倭国葛上郡御歳神社
次娶 坐稲羽八上姫 生一兒
兒御井神 亦云木俣神
次娶 高志沼河姫 生一男
兒建御名方神 坐信濃国諏方郡諏方神社
なお、宇迦の山の麓の宮殿とは、一説によればこれが出雲大社であるとしますが、出雲大社は後で出てくる国譲の代償と考えた方がスムーズですので、他に何かあったのかも知れませんし、全く別の場所かも知れません。
因幡の白兎がいた島について、しばしば「隠岐」と書いてある本があるのですが、古事記の記述は下記の通りです。
菟答言、僕在淤岐嶋、雖欲度此地、無度因。故、欺海和迩。
これを見る限り単に「沖の島」と読んだ方が自然です。
なお、現在白兎海岸の沖80mほどの所には、この古事記の記述通り、淤岐島という島があり、地元の伝承では、白兎は最初本土にいたのだが、洪水で流されて淤岐島まで行ってしまった。そして帰るのに困ってワニをだました、ということになっています。島根県で発行されている「道中話つき観光ガイドブック・出雲道・大山・鳥取砂丘」(綿織好孝氏発売)にも、白兎がわたったのは淤岐島で、この淤岐島は兎の形をしている、と書いてあります。
一方、隠岐だという伝説も実は隠岐に伝わっています。その舞台となっているのは隠岐の、中之島という島で、私が地元の人から直接聞いた話では、隠岐の他の島にはウサギがいるのに、この島にだけウサギはいないのだそうです。つまり本土まで渡っていってしまったので、いなくなった、ということでしょうか。
淤岐島なら海岸から100mどの距離だそうですので、ワニの背中を飛びながら渡ったとして、ワニは200匹程度ですみそうですが、隠岐までは一番近い島前の知夫里島から島根半島の多古鼻間でも45km程度ありますから、この間を渡るには9万匹ほど必要になります。淤岐島をとった方が現実的な気はしますが、神話には時々スケールの大きな話が出てきますので、隠岐説も完全には否定できません。
なお、このワニについてはワニザメのことではないか?との説があるのですが、これも隠岐の地元の方から聞いた話で、当地ではサメのことをワニと言うのだそうです。
梅原猛は「神々の流竄」で白兎がいた島を隠岐と考えた上で、なぜ隠岐から本土に来るのなら直線距離で美保ヶ関あたりに来ずに、わざわざ白兎海岸へ渡ったのだろうという疑問から、白兎伝説は本当は宗像の神話ではないか、という突飛な説を展開するのですが、15年後に出たこの本の文庫版の「あとがき」ではあっさり80%違うだろうと否定しています。
むろん淤岐島説では、目の前に白兎海岸があるのですから、何の疑問の余地もありません。
この淤岐島は本当に海岸からすぐそばという感じで、この程度ならわざわざワニを呼ばなくても干潮を待てば、自力で海岸まで戻れるのではないかと思うくらい近いです。あるいはウサギはここより、もう少し沖のほうの島(たとえば↓の島)に流されたのかも知れないなどと思ったりしました。
この島は当時地図を見て、大島と呼ばれている島ではないかと思ったのですが、大島ではなく海士島(あもうじま)ではないかという指摘がありました。しかし地図で位置を確認すると、白兎海岸から海士島が見えるとは思えないのです。写真のタイムスタンプを確認すると、私は16:19:20に淤岐島の写真を撮っており、この金色に輝く島の写真は16:20:56に撮っています。わずか1分半で海士島が見える位置まで移動できる訳がないのですよね。