ある時山幸彦は兄の海幸彦に「一度お互いの道具を交換して仕事をしてみましょうよ」と言いますが、兄は許しません。しかし何度も言う内にやっと承知してくれて、海幸彦が狩りの道具を持って山に、山幸彦が釣りの道具を持って海に出掛けました。
ところがやはり二人とも馴れぬことをしたので、どちらも全く獲物を得ることができませんでした。それどころか山幸彦は兄の釣針をなくしてしまいます。夕方家に帰って来てからそのことを言うと海幸彦は怒って、釣針を返せ、と言います。そこで山幸彦は自分の剣を割って500本の釣針を作って返しますが、「あの釣針でないと駄目だ」と言います。更に1000本作っても、兄の言葉は変りませんでした。
困ってしまった山幸彦が海辺に行き、途方にくれて海を眺めていますと塩椎神(潮流の神様)が「どうしたんですか」と声を掛けて来ました。そこで山幸彦が事情を話すと「それでは私の言う通りにしてご覧なさい」と塩椎神は山幸彦に次のような助言をしてくれました。「ここから舟に乗って潮に流されるままずっと行きなさい。私が貴方を導きましょう。やがて宮殿が見えてきます。そこは綿津見の神の宮殿です。そこの入り口の近くの泉のそばに1本の木があります。そこに登って待っていなさい」と。
さて、山幸彦が言われた通りにすると本当に宮殿が見えて来ました。そこで山幸彦は舟を降り、泉のそばの木に登りました。やがて宮殿の門から一人の女が出て来ました。女は水を汲みに来たようでしたが、泉の水面に映った山幸彦の姿を見てびっくりして見上げます。山幸彦は「水を一杯くださいませんか」と言いましたので、女が容器に汲んで渡しますと、山幸彦は自分の持っていた珠を口に含んでから容器に吐き入れますと、珠は容器から離れなくなってしまいました。
女は不思議に思い、容器をそのまま自分がお仕えしている姫様、豊玉姫の所に持っていきました。豊玉姫がどうしたことかと聞きますと女は「入り口の泉の木の上にそれはたいそう立派な男の方がおられます。水を所望なさったので差し上げましたら、この珠を容器に入れられました。すると取れなくなってしまったのです」と答えました。豊玉姫は興味を持って自ら入り口まで出て、木の上の山幸彦を見ました。そして一目で好きになってしまい、にっこり微笑みますと、山幸彦も微笑み返しました。
そこで豊玉姫は父の綿津見の神の所へ行き、宮殿の前に立派な男の方がいるんですよ。中に入って頂いていいですか、と許しを求めます。そこで綿津見の神も出て行って木の上を見ますと「これは天の神の御子ではありませんか。どうぞお入り下さい」と中へ招き入れ丁重にもてなし、立派なご馳走を差し上げました。そして山幸彦と豊玉姫は結婚し、三年の月日が流れました。
綿津見の神はこの釣針をきれいに洗ってから山幸彦に返し、「婿殿はこれから地上にお帰りになるでしょうが、釣針を兄上殿に返す時に『この釣針は憂鬱になる針、いらいらする針、貧しくなる針、愚かになる針』と言ってお返しなさい。それからこれをお持ちなさい」と言って潮満珠と潮干珠を渡し、「お兄さんが高い所に田を作ったら貴方は低い所に田を作りなさい。お兄さんが低い所に田を作ったら貴方は高い所に田を作りなさい」と助言しました。そうしてワニに命じて、山幸彦を岸辺まで届けさせました。
さて山幸彦が言われた通りにして釣針を返し言われた通りの田の作り方をしますと、山幸彦の田には水がよく来て作物が実りますが、海幸彦の田には水が来なかったり多すぎたりして全然収穫できません。だんだん海幸彦は貧しくなり心も荒れて来ました。そしてとうとう爆発して、山幸彦の所へ攻めて来ようとしましたので、山幸彦はもらった潮満珠を出して「潮満ちよ」と言いました。するとたちまち水があふれて海幸彦はおぼれてしまいます。「助けてくれぇ」と言う声に山幸彦が潮干珠を出して「潮干け」と言いますと、さっと水は引いて海幸彦は助かりました。しかしそれでもまた攻めて来ようとするのでまた潮満珠を使います。するとまたおぼれて惨めな様子ですので、潮干珠で水を引かせます。これを何度か繰り返すと、兄もどうやら弟には海の神の守護がついているということが分かり、大人しくなって、これから後はお前の言うことを聞くようにしようと言いました。
ところで、このお産の時豊玉姫が「女はお産の時には本来の姿になってしまいます。恥ずかしいので絶対中を見ないでくださいね」と言ったのですが、我が子を一目でも早く見たい山幸彦は我慢仕切れずに産屋の中をのぞいてしまいました。するとそこにはお産に苦しむ大きなワニの姿がありました。
豊玉姫はこれを恥ずかしがり「見ないでと言ったのに」と言い残して、子供を置いたまま綿津見の神の所に帰ってしまいました。しかし豊玉姫はどうしても夫のことが忘れられず、子供のことも気になるので、妹の玉依姫に「あの子を育てに行ってくれないか」と頼み、あわせて夫への歌を託しました。
赤玉は 緒さえ光れど 白玉の 君が装いし 貴くありけり
これに山幸彦が返歌をして
沖つ鳥 鴨著く島に 我が率寝し 妹は忘れじ 世のことごとに
と歌いました。山幸彦(火遠理命,或は天津日高日子穂々出見命)は高千穂の山の西にある高千穂の宮で580年間暮らしました。
また、鵜葺屋葺不合命は育ててくれた玉依姫と結婚し、五瀬命・稲氷命・御毛沼命・若御毛沼命という4人の子供が生まれました。この内御毛沼命は常世の国へ行き、稲氷命は綿津見の神の国へ行きました。そして五瀬命と若御毛沼命がやがてこの宮崎の地を出て、大和へ向い、若御毛沼命が神武天皇となるのですが、それはまた別の話となります。
息子の鵜葺屋葺不合命の宮は、そこから更に南に20kmほど行った所にある鵜戸神宮です。青島の方は目の前にどんと島がある感じですが、鵜戸神宮は車をおりてからかなり歩いて行きまして、実際に神社のある場所は凄まじい場所です。修験道の道場だったところなので、よくまぁこんな場所に神社を作ったものだ、という感じです。ここは素焼きの皿を海岸の岩に向って投げる占いというのがありまして、見事その岩に当れば願い事が叶うとされています。一応男性は左手で、女性は右手で投げて下さいとのこと。私もやりましたが、まるで届きませんね(^_^;
山幸彦が海の宮に行き海の神の娘と結婚するというモチーフは浦島太郎の話と似たパターンであるとして、この話はしばしば浦島太郎の原型の一つと考えられています。その思考で行くと、山幸彦が浦島太郎に相当する訳ですが、どこで混乱が生じたのか、一般には鵜戸神宮の鵜葺屋葺不合命が浦島太郎で、青島神宮の方はそのお母さんを祭っているのだ、とする信仰があるようです。
邇邇芸命が降りて来た高千穂ですが、ここで高千穂というのが2ヶ所あることを御存知でしょうか。ひとつは宮崎県北部の高千穂町で、もうひとつは宮崎県南部の高千穂峰です。高千穂町の方には天岩戸があり、天岩戸神社が建っていて近くに邇邇芸命が降りて来た地とされる串触神社があります(高千穂神社というのもありますが、これは明治時代に改称したもので元の名前は十社大明神です)。岩戸神楽で有名な所ですね。
高千穂峰の方は霧島連峰の一部で、邇邇芸命が地上に第一歩をしるした時に立てたという「天の逆鉾」(あめのさかほこ)があります。山を降りた所にある霧島神宮は邇邇芸命を祭る神社です。
実際の天孫降臨の地が一体どちらの高千穂なのか、としばしば問題にされるのですが、両方見た知人の弁は「絶対南側の方だと思う」でした。北の方も神秘的な香りはするのだが、南の高千穂は、まさに神々の地という感じであったというのです。また位置的に考えても、北の高千穂から青島・鵜戸はほとんど南ですが、南の高千穂からならちょうど西にあたります。そこで私も今のところ南側の方に気持ちが傾いています。
宮崎県は非常に古い遺跡の宝庫でもあります。有名な所では宮崎市の北方西都市にある巨大な西戸原古墳群などがあり、ここにかつてかなり大きな勢力を持つ王国があったことを確信させてくれます。