世界の女神たち( 9)マリア

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written by Lumiere on 96/10/28 15:45
今回のシリーズの原稿を書いていて思うことがあります。それは中国伝来の五 行思想で、たとえば夏の気というのは冬の一番寒い時期冬至に生まれて、少し ずつ育って行ってやがて夏を生み出すのだと、といった考え方です。次の時代 を作る思想の種は実はその思想にとって一番厳しい時期に撒かれているのでは ないか。ひんな気がするのです。

さて前回キリスト教思想の中で古来の女神信仰が隅に追いやられて女神たちが 魔女の元締とみなされていった過程について述べました。ではその抑圧された 女性的要素はどこに行ってしまったのでしょうか。

それを一身に引き受けた存在。それがマリアです。有名な信徒信条をあげてみ ましょう。

信徒信条 我はそのひとりの子我らの主イエスキリストを信ず。
  主は聖霊によりて宿り、乙女マリアより生まれ、ポンテオピラトの時苦し みを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、よみにくだり、三日目に死 にし者の内より蘇り、天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり。
  かしこより来たりて生ける人と死ぬる人を裁きたまわん。
  我は聖書を信ず。
  また聖公会、聖徒の交わり、罪の赦し、からだのよみがえり、限りなき命 を信ず。
  アーメン。

ここにもはっきりと書かれたキリストの生母マリアこそが、この女性原理の抑 圧された時代に全ての女神信仰の要素を引き継いだ存在といえます。特に彼女 はAD431年のエフェソ公会議において「神の母(テオトコス)」と認定されたこ とから、キリスト教教会の中でマリアの絵や像が崇拝される道が開かれました。
そしてそれはディアナやダナなどへの信仰の元型的意味での焼き直しでありま した。どんなに罪深い人でも悔い改めて心から神にすがれば救われる。そうい う優しい救いの手を伸べてくれる存在はやはり女神であるにちがいないという 民衆の期待がありました。ここにマリア信仰が高まる要素があったのです。

しかしそのマリアという存在もキリスト教の性を抑圧する思想の中で徹底的に 「清純」な存在になっていました。マリアは処女のままイエスを産んだという 「マタイの福音書」以来の思想に加えて、そのマリア自身も母アンナと父ヨア キムが交わらずに、くちづけのみで受胎したという思想が現れ(ヤコブ原福音 書)、更にマリアは普通の人の食べ物を食べて育ったのではなく、天使が運ん で来た木ノ実を食べて育ち、彼女の洋服は彼女が成長するとともに自然に大き くなり、風呂などに入らなくても清浄な肌であった。そして清いままにヨセフ の許に嫁いで行ったのである、などといったことになってきました。

また「アヴェ・マリア」(マリアに幸いあれ)の「アヴェ(ave)」はエヴァ(= イブ,Eva)の倒置であって、罪深きエヴァに対して清らかなマリアという仕組 になっているという指摘もあります。

また、キリストに深くかかわる三人のマリア:マグダラのマリア、ヤコブの母 マリア、マリア・サロメもしばしば聖母マリアの分身とみなされ、この三人が 聖杯を持ってフランスにやってきたなどという伝説をのこしています。

そんな中12世紀頃、そのフランスの各地でマリア像が出現するという事件が 相次ぎます。あるものは泉の底に沈んでいるのが発見されました。あるものは 巨大な樫の木の洞から発見されました。あるものは牡牛が畑をたがやしている とき、土の中から出てきました。人々はこの「奇跡」に感激し、教会に持って 行って祀ってもらおうとしましたが、なぜかマリア像は元の場所に勝手に戻っ てしまったといいます。人々は仕方無いのでその場に礼拝所を設営し、そこで マリア様に祈りを捧げました。

これらのマリア像はヨーロッパ全土で全部で数千体あったとも言われますが、 特にフランスの山間部に集中しており、そのうち100体前後が今でも大事に 残されています。そして、このマリア像の特徴はそれがほとんど顔や手などが 黒く塗られた「黒いマリア」であるということです。

これらのマリア像は見つかった経緯も奇跡に満ちていますが、礼拝されるよう になった後も様々な奇跡を起こしたとされ、ペストを町に入れなかったマリア、 敵の軍隊を寄せ付けなかったマリア、などなどの話が伝えられています。

この12世紀という時はそういった黒いマリアの出たところの上に各地で「ノ ートルダム」という名前の寺院が設営された時期でもあります。シャルトルに 1150年にノートルダム寺院が出来たのを皮切りに、パリ・アミアン・ランス等 に同名の寺院が作られました。この設営は誰かが計画をしたものと思われ、こ れらの寺院を線で結ぶと、なんと乙女座の形が出現します。スピカの位置に来 るのがランスのノートルダム、乙女座の図形の要のγ星ポリマの位置がシャル トルで、ε星ビンデミアトリクスの位置はバイユーになります。

さて、この「黒いマリア」の正体は何でしょうか?

前回の原稿の続きでこれを読んでおられる方は察しがつく通り、これは滅ぼさ れた古い時代の女神像であると思われます。黒は光が内面に宿る夜の色で古代 では光の母を示す神聖な色でした。

それが、キリスト教からの弾圧によって古い礼拝所が破壊され、神像もほとん どは破壊されたり燃やされたりしたのでしょうが、一部山間部のように追及の 手が弱くなるところでは土に埋められたり泉の底に沈められたりしていたのが この時期に相次いで「発見」されたものと思われます。そしてそのマリア像が 教会に持って行っても元の場所に戻ってしまった、という伝説は教会の司祭た ちが当時それを見て正体がわかったため、異教のものを教会に入れるのはいけ ないと拒否し、仕方無く本来の場所に戻されたことを示しているのではないか という推理も成り立ちます。またもうひとつの解釈としては「発見」した民衆 もその神像の正体を知っていたため、教会に持っていくのではなく、本来その 女神がいるべき場所である、聖地たる泉や木の洞などのそばに安置したという 考えも成立ちます。

また、ノートルダム(私たちの婦人)とは、通常神の母たるマリアの意味と解 釈されますが、その言葉はむしろ大地母神と考えた方が意味が通るようにも思 われます。

こうして抑圧された女神信仰は数百年の時を経てマリア信仰の形でよみがった のです。そもそもマリアの母の名前とされるアンナですが、これはケルトの大 地母神たるダナの別名と一致しています。キリスト教側もこういった事情は承 知はしていたはずですが、日本で仏教が神道と習合しながら普及していったよ うに、キリスト教も古来の信仰を無視できなかったという面があるのでしょう。
マリアと地母神の習合という、その暗黙の和解がこの12世紀に成立したとい う考えも成り立ちます。

この時代は十字軍の派遣に象徴される形でキリスト教にとっての危機があった 時代で、だからこそヨーロッパ内で民心を把握する必要があったでしょうし、 逆に黒いマリアの中にはこの十字軍によってメソポタミア方面からヨーロッパ に持ってこられた女神像もあったようです。結果外ではイスラム教と戦いなが ら、内では大きな宗教的寛容が成立していたのかも知れません。そんななかで テンプル騎士団などの活動もあります。

しかし、この後はつかのまの春は終わり、テンプル騎士団も異端の汚名を着せ られて壊滅します。が、そうやって吹き出したエネルギーはやがて宗教改革へ と発展してプロテスタントを生み出します。もっとも、そこでは女性原理のこ とまでは扱われず、近代国家出現・市民革命・産業革命・科学技術の発展など を経て、フェミニズム運動の発生まで長い長い時を待たねばなりませんでした。

80頃 マタイの福音書 325 ニケア公会議。三位一体。
381 コンスタンティノーブル公会議。神とキリストは同質。
431 エフェソ公会議。マリアを神の母と認定。
451 カルケドン公会議。カルケドン信条の成立。
843 コンスタンティノーブル会議。聖画像の崇敬が認可される。
1054 東西教会分裂。
1095 十字軍開始。
1150 シャルトルのノートルダム寺院。この頃「黒マリアの発見」相次ぐ。
1179 世界の終末(1186)を予言したトレドの書簡発表される。
1181〜 アルビ派への徹底弾圧。火刑・惨殺された者3万人。
1186 天秤座に7惑星集合。
1304 ダンテの神曲。時代はルネッサンスへ。
1312 テンプル騎士団解散させられる。多数が処刑さる。
1429 ジャンヌ・ダルク登場。(1431火刑) 1486 「魔女の鉄槌」出る。以後魔女裁判が過激化していく。犠牲者数50万人??? 1517 ルターが免罪符を批判。95ヶ条の論文。プロテスタントへ。
1643 ルイ14世即位。以後政治は教会から独立を始める。
1684 「天路歴程」キリスト教自身も新しい時代へ。
1765 ワットが蒸気機関発明。産業革命へ。
1789 フランス革命。近代国家の幕開け。
1854 ピウス9世の勅書。聖母無原罪懐胎が教義として認められる。
1858 「ルルドの泉」の奇跡。以後現代まで「マリアの出現」相次ぐ。
1893 世界で初めて、ニュージーランドで女性参政権。
1917 ファティマにマリア出現。「ファティマの予言」。
1950 ピオ12世の勅書。聖母被昇天が教義として認められる。

この年表にも書いたように、現代は800年前の再来のように世界各地で「マリア の出現」が相次いでいます。その数は1830年から1967年までの統計でも187件と され、やはりこれは世界レベルで女性原理の復興運動が起きているのではないか と考えられます。800年前との違いは800年前は物体の形をとったものが、今回は その場限りの映像の形をとっている訳で、物質以上に精神が重視される時代を反 映しているかのようです。


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