世界の女神たち(10)天照大神-cont2

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written by Lumiere on 97/01/13 09:24
前稿にも出てきましたが、伊勢神宮は式年遷宮という制度をとっています。こ れは20年ごとに神殿を建て替えるという制度で、伊勢神宮は内宮・外宮とも に神殿の横に立て替え用の全く同じサイズの敷地・古殿地が用意されています。

こういう式年遷宮の制度は全国数十ヶ所の神社に見られますが、やはり最も大 規模に行われるのがこの伊勢神宮でしょう。この遷宮にまつわる話も多数あり ます。まず面白いのはこの敷地の内どちらが使用されているかによって日本の 世相が変わるという説があります。

ここで内宮の東側の敷地を米座(よねのくら)といい、西側の敷地を金座(か ねのくら)というのだそうですが、米座に神殿がある時代は平和や繁栄の時代 で金座に神殿がある時代は戦乱や不況の時代であるとします。最近の遷宮を見 てみますと次のようになります。

No.56 1889年(明治22年)金座に遷宮 日清戦争・日露戦争・日韓併合 No.57 1909年(明治42年)米座に遷宮 大正ロマン・宝塚歌劇開始・ラジオ放送開始 No.58 1929年(昭和 4年)金座に遷宮 515・226事件・満州事変・太平洋戦争 No.59 1953年(昭和28年)米座に遷宮 高度経済成長・東京オリンピック・大阪万博 No.60 1973年(昭和48年)金座に遷宮 石油ショック・イラン革命・ジャンボ機事故 No.61 1993年(平成 5年)米座に遷宮 自民党単独政権の崩壊 No.62 2013年(平成25年)金座に遷宮予定 (マヤの暦が終る時!!)

この話は置いておいて(^_^;; この式年遷宮の意義について少し考えてみましょ う。こういった式年遷宮の持つ最も重要な意義は、こういうことをすることに よって神殿が新しくなって新しい気を呼び込むことができ、祭っている神の力 がまた新しくなるということ、逆にいえば信者・支持者がそれに向けて集結す ることで人々の意気もまた新たになるということがあげられます。

その場合、これは何年おきにやっても構わないのですが、ここに20年おきと いう数字が出てきた背景については又色々な説が出ているようです。

まず一般の説からいくと、この20年という年数が建築技術を継承していく為 にちょうどいい年数であるという説は強いようです。20歳の頃この建築に下 っ端の大工として参加した若者が次の遷宮の時は第一線で指揮をして若者たち を指導し、その次の遷宮の時60歳では全体の監督をして問題の起きないよう に目を光らせる。これより長い周期ではこのようなサイクルが成り立ちません。
またもう一つの説として、20年というのは稲の貯蔵限度が20年であるため というのもあります。

吉野裕子氏は「20年」の「2」という数字は陰と陽を表すと考察しています。
確かに伊勢神宮に陰陽思想というのはよく見受けられるように思われます。ま ず伊勢神宮のお塩を取る二見の浜のそばには夫婦石で有名な二見浦があります。
これは倭姫がこの地に来た時、夫婦石の間から昇る朝日の美しさに2度振り返 って見たということからついた名前ですが、夫婦石は当然陰陽を表します。

伊勢神宮の内宮と外宮を見た時、内宮の神殿の千木の切り口は水平でこれを内 削ぎといい、外宮の千木の切り口は垂直でこれを外削ぎといって対になってい ます。内宮の堅魚木は10本と偶数で陰を表し、外宮の堅魚木は9本と奇数で 陽を表します。またそもそも内宮・外宮という存在そのものが陰と陽を表して いるものと思われます。

御堂龍児氏の説はもっと興味深いものです。御堂氏によれば第1回の持統天皇 の時の式年遷宮はきれいに風水の気の作用が強力に出る理気になっており、そ れからちょうど20年ごとに建て替えていくのが、みごとに風水上の気の移り 変わりと同じ周期になっていて、伊勢神宮は遷宮の度に良い気の流れを受け入 れることができるというのです。天武天皇は自ら式盤を使って占いをしたりし ていたほどの人ですので、そのような知識も持っており、それ故20年ごとの 遷宮を指示したのかも知れません。

なお、御堂氏の説と似た説としては、20年というのは元日と立春が一致する 周期である、という説もあります。暦のことをいえば第一回の式年遷宮が行わ れた年というのは儀鳳暦の使用が始まった年でもあります。

伊勢神宮に関して、吉野裕子氏は伊勢神宮の神と中国の太一つまり北極星との 習合を常々主張しておられます。その根拠は多々あるのですが、伊勢神宮の中 でも重要な神社の一つである伊雑宮の御田植神事の時、太一と書かれた大きな 翳(さしは)が使用されること、明治の頃まで行われていた伊勢神宮の贄海神 事では神官が自ら船を出して天照大神への捧げものの蠣(かき)や海松(みる) を取っていたがその船の旗が太一であったこと、内宮を北極星とし外宮を北斗 七星に見立てると、北斗七星が北極星の北西・地上すれすれに来て、柄杓が上 を向き、ほんとうに柄杓に物が入れられそうな配置の時に伊勢神宮で最も重要 な祭祀・神嘗祭が行われる、等々を吉野氏はあげています。

この「西北」という方角は確かに面白く、内宮の西北に外宮があり、そのまた 西北に斎宮跡があります。


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